ゲームセッションの責任は
2018-05-31 00:19 · 422 words · 1 minute read
最近、ゲームセッションについて考えさせられることが多かったので、考えをまとめない。
自分の言う「ゲームセッション」は「再現性のないゲームルール外のゲーム体験」くらいの意味で言ってる。
ゲームルールはゲームセッションを完全にコントロールできるとは思っていないが、何も影響を与えないとも思ってない。
ゲームセッションはゲームルールとプレイヤーとその他全部が混じりあったものではないか。
ゲームセッションの責任のそのすべてをプレイヤーが負うのはキツすぎる。
ゲームは悪意に弱いが不幸にも弱いのではないか。
誰も(ゲームもプレイヤーも)悪くないのに「不幸なセッション」は起こりうる。
「不幸なセッション」が起きたとき、「なにか」のせいにできないか?
「不幸」とか「運」とかの領分で上手くできないものか。
よくわかんないけど「ヒトガタを川に流す」とか「塩を盛る」とか、なんかそっちの領域で。
悪意をゲームデザインに組み込んだゲームにはどんなものがあるだろうか?
とかなんとか。